ホンダF1第1期の活躍

2007年ホンダF1ファンとしては、とても残念な結果になった。
ドライバーのルーベンス・バリチェロやジェイソン・バトンまったく良いとこなしで
とにかく勝てなかった。2007度順位は、なんと8位 
弟分のスーパーアグリにも水をあけられるなど 散々な結果であった。
2008年は、チーム代表にフェラーリからロス・ブランの加入で
また大きく期待が持てる情況が整い これからが期待される。
実際 ロスが来るのが2007年の秋頃なので2008年の新車RA108には、
あまり関わっていないが 本人も言うようにRA108はドンドン改良するとの事で
今年こそ変わってくれる期待を持たせている
実際 昔のホンダF1は強かった。と言う訳で昔か現在までのhonndaF1の歴史を紐解いてみたい。
第一期の1964年〜1968年は、単独参戦 した
当時ホンダF1は、ロータスのエンジンサプライヤーとして参戦予定だったが
ロータスがキャンセル そのため ホンダF1は、シャーシも自社で開発して参戦する
1964年7月ドイツグランプリでホンダF1デビュー翌年メキシコグランプリで初優勝する。
1966年からレギュレーションの変更によりかなりホンダF1出遅れるが3.0LのV12気筒で参戦
1997年は、第一期ホンダF1が活躍 一位1回 3位を2回獲得して
コンストラクターズポイントホンダF1は、4位を獲得した。
1968年は、ホンダF1にとって最悪な年になってしまう。空冷エンジンで参戦 それがあだとなり
すぐにオーバーヒートを起こしてしまうなど悩まされる そしてフランスグランプリでは、雨の中
出走するがマシーンはスピンしてコースアウト マシンは、炎上しドライバーは、
炎上するマシンに取り残され 焼死してしまう大惨事さんとホンダF1は、なってしまった。
結局 1968年シーズン終了後 ホンダF1は、活動を休止することになった。
理由は、大気汚染に対する市販車の開発であった。

第2期の活躍したホンダとセナ

この2期は、ターボエンジン全盛であった。
当時コスワースは、ターボエンジンに対応出来ず  またターボエンジンの出現により
ワークスチームの台等が始まった。ちなみに ホンダF1が第一期を去る1968年の
チャンピオンとなったのは、フォード・コスワースと皮肉にもコスワースであるのが面白い。 
1983年ウイリアムズにエンジン供給を開始する。1984年アメリカグランプリで
ケケ・ロズベルグが復帰初勝利を上げる。
ホンダF1は、1986年 1987年は、タイトルを取り ドライバーのネルソンピケが貢献する。
ちなみに現在2007年2008年ケケの息子のニコ・ロズベルグもウイリアムズでハンドルを握り 
ピケの息子も2008年ルノーでハンドルを握ることになる。
1980年になると あのアイルトンセナ率いるマクラーレンにホンダF1エンジン供給する。
ここから日本でもF1人気に火が付くマクラーレンは、破竹の勢いで優勝 実に16戦中15勝と
圧倒的な強さであった。ここに面白い話があるが16戦中1敗したのがドライバーのルイ・シュレッサーと
と接触したためである。ルイは、ホンダF1が1968年に参戦して事故死してしまったジョーシュレッサーの
甥である。なんとも皮肉なめぐりあわせである。
だんだんとであるが ホンダも次第に陰りを見せ始める またルノーエンジンを受けるウイリアムズ
台頭し始める。セナをしてもウイリアムズに勝つことは容易でなくなり
あの有名なモナコグランプリでセナとナイジェルマンセのバトルが行われた
マシン的には、ホンダF1セナの不利が否めない情況にも関わらず モナコ特有の道の狭さで
絶対にウイリアムズのマンセルに前を行かせなず 優勝した。
後の1992年 ホンダF1は、第二期を去ることになる。

第3期の活躍とこれから期待できること

当初ホンダF1は、フルワークスで参戦する予定だあったが社内の慎重論などあり
結局エンジンサプライヤーでの参戦することになる。
2000年にBARにエンジン供給 2002年シャーシを開発していたレイナード社が倒産したので
そのままシャーシも開発にも携わることとなる。 
そして2004年にBARとともにホンダF1は、11回も表彰台に上ることになる。
コンストラクターズで2位となった。
2005年は、2004年ほど活躍出来なかった。当時ドライバーであった日本人 佐藤琢磨も頑張ったが
不運に見舞われ結局は結果に結びつかず コンストラクターズ6位に終わった。
2006年 ドライバーの佐藤琢磨からフェラーリのルーベンス・バリチェロが移籍する。
そしてBARび株式を100セント取得して ついてホンダ100セントとして参戦することに
なる。この年ハンガリーグランプリでジエイソン・バトンは、ホンダF1として初優勝をする。
ホンダF1としてなんと39年ぶりの優勝である。
2007年は、外見がタバコのスポンサーが禁止にされることにより大きくデザインが変わり
地球をイメージしたカラーに変わる。反響は、あったが いかんせん 結果は、最初にお話した
とうりである。 実は、この年 RA1062006年のマシンは、パホーマンスの頭打ちもあり
大幅なマシン改革が行われた それが 大きな仇となってしまった。
2008年のマシンRA108は、前年のRA107の改良型でなく抜本的に作り直すこととなった。
ホンダF1が大きく変わる年で有能な人材も多数加わった事で 大きな飛躍を期待したい。
ちなみに 私は、今年 ホンダF1を応援する意味でホンダ車を購入してしまった。
そんな私をアホナファンでファンで終わらせないで欲しい!!
是非私の気持ちを裏切らないで欲しい!!!出来れば佐藤琢磨にサイド戻ってきてほしい。と
思うのは私だけであろうか・・・・ 

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